正しい人の喰い方マニュアル -7ページ目

地上の地獄 三.密造

三.密造

 俺が北朝鮮に来る事になった理由は親父がこの国で死ぬ事を望んだからだ。俺は親父が五十歳の時に出来た子供だった。お袋は十五歳年下の三十五歳。当時ではかなりの高齢出産だった。戦時中に北朝鮮から日本に渡り苦労の末財を為した親父としては、最後の夢としていずれは故国に戻り先祖代代の墓に眠りたかったのだ。北朝鮮人は「墓」と言う物をとても大切にする。中国人も昔は親の棺桶代を稼ぐために子供を売ったと言う。普通なら到底理解出来ない話だが、親父的にはこの発想は良く理解出来たらしい。

「子供は親の言う事に従うべきだ! お前は黙ってワシについて来い!」

 テレビや総連の甘い言葉は嘘だと親父は初めから見破っていた。だからこそ北朝鮮に渡る時全財産は寄付せず、事業の一部は弟に譲り、現金の一部はスイス銀行に、そして残りの全ては金塊化し……と財産を効率良く分割し自分の我侭のせいで、北朝鮮で生活する事になった俺の将来に準備をしてくれていた。無論「皆から憎まれない事」が一番大切だと知っていた父は力を持っていても極力目立たず、質素な生活を第一としていた。

 父はこの国に死に場所を探しに来たのだ。

 北朝鮮に渡って三年後、六十五歳で見事大往生し父は希望通り先祖代々の墓に埋葬された。この為にこの国に来たのだ。涙など流れる筈が無い……と思っていたが、日本人妻であった母は嘆き悲しみ、親父が死んだ半年後、後を追うように、黄泉の国へ旅立って行った。俺には寂しい出来事であったけれど、母にしてみれば時期を大きくずらさず父と共に旅立てた事は生涯最大の幸せであったのかもしれない。

 親父は俺に色々な余計な知識を教えてくれた。日本の本は持ち込めないが、頭に入っている知識や知恵までは持ち込む事を拒否する事は出来ない。と。親父の死後、軍から依頼されていた新聞翻訳の仕事はそのまま俺の仕事となった。

 翻訳の人出が足りない? 訳は無いと思うがかくして俺は階層が低いのにも関わらず、大学へと進学する事が出来、就職の苦難も味わう事も無かった。こうした事を後で考えてみると、やはり親父が死ぬ前に色々と手を回していてくれたのかもしれない。とも思うし、政府としてはまだ親父が財産を隠している可能性が高いと見、俺が尻尾を出すまで見張っているつもりなのかもしれない。

ともあれ俺も親父に習い、目立った行動は厳に慎み、北朝鮮で地道な生活を続けていた。とりあえず喰えて平和な生活が送れるのならば、どの国で暮らしても同じ事では無いだろうか。時が経つに連れ、俺は母国日本に無理に戻るよりも、静かに北朝鮮で生活する道を自然と選ぶようになった。

「おい。大丈夫か。ぼーっとしているぞ」
「あ、ごめんなさい。えっと何してたんだっけ……」

 休みの日は特に、嫁さんが椅子に座ったまま呆けている事が多くなってきていた。やはりそろそろ医者に見せるべきだろうか。考え込んでいるよりまずは行動する事が大切だ。日本から取り寄せた頭痛薬に風邪薬、そして万能薬アリナミンを袋に入れ病院へと向った。
 病院の中は閑散としていて、外来患者の数は少ない。遠目越しに傷だらけのビール瓶を使って点滴を受ける患者などが居ると多少不安な気持ちになるが、調子が悪い以上病院以外頼る所は無い。数十分待った後で診察を受けた。

「どうしました?」
「どうも毎日ぼーっとして調子が悪いのです……」

 外貨を幾らか渡し無理を言って、血圧体重のみならず心電図なども取って貰ったが以上は無し。医者にお礼を言い、持っていた薬はアリナミンを除き全て病院に寄付をした。どうしたのだろう? どこが悪いのだろう??? 原因はさっぱり分からず、嫁さんも「動けなくなるほど悪い」と言う事も無かったので、結局「様子を見ましょう」と言う事で終ってしまった。

「オモニは調子が悪いの? 直らないの?」
「ん。大丈夫だ。とうちゃんがついているからな。お前達は気にしなくていいぞ」

 嫁さんが暗いと家庭全体が暗くなってしまう。俺は何とかしたいとは思っても出来ぬ不具合さに家中歩き回り、弱っている嫁さんを質問漬けにしてしまっていた。

「欲しい物は無いか? 食べたい物は無いか」
「別にありません。ちょっとゆっくり休ませて下さい……」
「じゃあ母ちゃん。おじさんの所に行こうよ! あそこに行けば新鮮な野菜も果物も食べられるから、母ちゃんの病気きっとすぐ良くなっちゃうと思うけど」

 他に良い案が浮かばなかったので、子供たちに誘われるまま、仕事が終った後、嫁さんを連れ義弟の所に久しぶりに遊びに行く事にした。

 考えてみれば、義弟の自宅に行くのは前妻が死んでから以来だろうか。町から少し離れた農村に暮らす義弟は事有るごとに俺と接触を取りたがった。外貨をせびりに来たり、外国製品が家に置かれている事を子供達に聞けば物色しに来たり。迷惑と言えば迷惑だが、子供たちが望んで遊びに行って世話をかけている以上、鬱陶しいとは思っても、無下に義弟を追い出す事も出来なかった。

 町から村への移動手段はディーゼルエンジンの搭載された列車である。スピードは人が歩くよりも遅い。子供達はいつも歩いて義弟の所に遊びに行っているそうだが、嫁さんの調子が悪い以上、手間で遠回りであっても列車を使い移動したかった。

「義兄さん! 良く来てくれました!」

 北朝鮮の人間は人との縁を大切にし、特に来客に対して手厚くもてなすのが普通だ。とは言え電話が通っていない義弟の家に前もって連絡をしようにも、する手立ては電報しかない。転地療法と言う言葉があるが、空気の良い田舎で数日過ごせば嫁さんの調子が好転するかもしれない。と思ったのだ。事情を説明し、前妻が以前使っていた部屋を暫らく貸してもらえる事となった。

「そう言う事情でなくても、縁深い我らではありませんか。もっと遊びに来てくれてもいいと思いますけど」
「いやその。子供達がいつも世話になっていて……」
「今家内の方に料理を頼みました。こちらで少し静養すればきっとすぐ良くなりますよ」
 手土産としてまず石鹸と小麦粉を五キロほど義弟に渡す。こちらではウドン一つ食べるのにも自分で麺を打たなければならないので、何か持っていくとしたら素材をそのまま持って行った方が活用し甲斐があり喜ばれる事がある。石鹸も北朝鮮では貴重品である。手を洗い全身を清潔に保つ事が感染症を防ぎ、健康に暮らせる事を誰しも知っているが、食料品すらロクに手に入れられない現状では、石鹸にまで業者も国家も手が回らないのだ。
北朝鮮ではめったに手に入らない香水石鹸。料理を用意してくれた義弟の奥さんが大切そうに手に持ちながら、エプロンを外し俺の前へやって来た。年齢は義弟よりも大分若い。石鹸を鼻に近づけ笑う姿に暗い陰湿な影は無く、再婚の相手とは思えない程、面差しに嫌味の無い優しげな物腰であった。

「いつも洒落た物をありがとうございます。こう言う物を使っていると気のせいとは分っていても若返るような気がします」
「いえいえそんな事は……」
「義兄さん本当にありがとうございます。子供たちを大切に育ててくれただけでなく、貴重な輸入品まで何時も頂いてしまい……感謝しています」

 義弟は決して悪い人間ではない。が、子供が奪われるかもしれない。と想像していると、ついつい悪い方に考えが向いてしまうのかもしれない。普段抱えている悩みを今日はとりあえず切り替え、その日は義弟が作ったと言う特製ドングリ酒で乾杯をした。

「これって密造品か?」
「細かい事言わないで下さいよ。誰でもやっている事じゃ無いですか。ゴミが浮いているまずいビールよりも絶対こっちの方が旨いですよ」

 本業よりも副業を大切にするのは、北朝鮮では決して珍しい事では無い。その日は手土産として持って行った松の実を酒の肴に時を過ごした。

北朝鮮の山沿いの畑は酸化鉄が多く含まれているからだろうか、土が赤く実りが少ない。義弟が言うには下手に農作物を作るよりも、密造酒を作って、闇市場で売った方が商売になるのだと言う。もっとも農作物を作りたくても北朝鮮では農薬も肥料もすべて個人負担である為、安定した収入を得る為にはある程度の副業が認められるのが普通だった。

 北朝鮮では酒に溺れる人間が少なくない。アルコール自体単価が安い事もあるし、自分の生活に絶望した意思の弱い夢の無い人間がその理由であるのかもしれない。何度か絡まれ、厭な思いをした後、いつしか町中で顔も目も黄色い人間を見かけたら、目を合わさず、出来るだけ関わらぬように立ち去るようになっていた。アルコール中毒の人間は突然暴れ出す事があるし、誰彼無く酒をせびる事も決して珍しい事では無かったからだ。

 アルコール中毒の人間が酒を飲むのは酒が美味しいからではなく、簡単に現実逃避できるからだろう。町中で極稀に酒を飲んだまま泥酔し、倒れ込み動かない人間を見つける事がある。脈を取るとまだ生きているが、顔が赤く息も荒い。こうした人間を見つけるとどんなに面倒でも、雪の降っている時は特に屋根のある所まで身体を引っ張って行くが、既に手遅れで生き絶えてしまった人間や、道路の中央でうっかり眠ってしまい、車に轢かれてしまった人間は既に手遅れで、さすがにそうした人間までどうこうしようとは思わない。そんな時は目を背けて足を早める事が精々だった。

 酒を日々飲みすぎたせいで全臓不全となり死に行く人、慢性的な栄養不足により浮腫となり、酒のせいで更に肝炎を煩わせる人も少なくない。酒を造る人間が悪いと言う人も居るだろうが、禁酒法のあったアメリカの時代を除き、「酒を造るのは犯罪だ!」と言う人が居るだろうか。忘却の手段としての酒ではなく、会話を促進させる北朝鮮の特産物にもなる楽しい酒を作りたい。弟の口調は本気であり、何でもナアナア、他人任せで、何でも人のせいにして済ませる北朝鮮人とは一線を画していた。

「無論全く農作物を作らない訳では無いですけどね。最近は酒を造る事が多くなってきました。作って楽しい、飲んで楽しいですからかね」
「作らなかったら党から罰せられるだろう。大丈夫なのか?」
「大丈夫ですよ。この辺の役人全員に賄賂・定期的に贈っていますから」

 あっけらかんとしたこの態度は、見習うべきなのかもしれない。
 こうした性格だからこそ、再婚ながらも美人な奥さんを貰う事が出来たのだとしたら……やはり義弟は優秀な人間なのだ。

 平壌で売られて居るビールにははろ過技術が遅れているため、殺菌の為に硫酸を少量入れているそうだが、義弟はそういった余計な添加物を一切入れていないらしい。理由としてはそうした物を買ったほうがコストが高くつくからだそうだ。

「北朝鮮は元々農業には向いてないのですよ兄さん。メチルアルコールを飲んで目を潰す前に僕の作ったドングリ酒を飲んで欲しい物です」
「確かに、この酒は旨く出来ているが……ま、ナゲヤリにそう言うな。お陰で我が家は飢えなくて済んでいるのだから。もう少しがんばってくれよ」
「しかし、飢餓が進んでいるせいか、年々材料となるドングリの木の伐採が進み、材料の調達に苦労するようになってきました……それでお願いがあるのですが……実は今度ブルーベリー酒に挑戦してみようと思うのですが、情けない事に苗も肥料も調達する当てがありません。政府の高官と話してみたのですが、直接手伝いをする事は出来ないが、義兄さんがもし日本から調達してくれるのであれば、輸入の手続きに便宜を図ってくれるというのです。もし良かったら協力して貰えないでしょうか」
「しかし、何でブルーベリーなのだ? 酒にするなら他にも良い果実がありそうな物だが」
「ブルーベリーは荒地を好むんですよ。昨年、夏頃に政府高官の庭先で元気に育って居るのを見た事があるのですが、それはもう大粒の実が見事に実っていて、一個食べて見たら甘くて旨い事。僕は即「これだ」と思いましたね」
「日本の親戚と連絡を取るのは構わないけれど……もし上手く調達出来なかったら諦めろよ」
「ありがとうございます! さすがは義兄だ!」

 とはいえ日本からブルーベリーの苗を北朝鮮に送る。それは例え百本送った所で大した金額にはならないと思うから、義弟の願いはおそらく来月には叶う事になるだろう。

 息子達が何気なく誘ってくれて結論としては良かったのかもしれない。何だか嫁さんだけでなく俺も良い気分転換になったような気がする。卑屈に物事を考えず、前妻が亡くなっても変わらぬ付き合いを続けてくれる事は感謝すべき事で、多少の希望を受け入れる事は関係を潤滑に継続させる為に必要な事なのだ。

 義弟が作った野菜の一部は平壌に運ばれ、高級幹部に供されると言う話を聞いた事が有る。チェチェ農法とは良く言うが、結局党から連絡があるのは今年の作物の取れ高を示した紙が一枚送られてくるだけ。後は種は勿論道具に至るまで全て自前である。

 うっかり予定通りに作物が取れなければ最悪強制収容所送りと言う事にも成りかねない。農業などはまだ土地があるだけいい方なのだ。ある者は専門学校にパソコンを複数台設置するよう紙一枚の指令を受け、途方に暮れてしまったと言う。結局は頭が回る者が中国から大量に安いテレビを仕入れ、それを香港で売り払い差額の儲かった金額でパソコンを何とか格好がつく程度パソコンを揃えたと言う。

 中途半端な知識で化学肥料をとにかく大量に使い、土を荒らし、使い物にならなくしてしまった者、耕作する事自体を諦め、当ても無く河を越え脱北する者。こちらに来る途中の電車から見る北朝鮮の風景は何とももの寂しく、希望を感じる事が出来なかった。

 そうした中多少寄り道をしつつも、緑豊かな畑を守っている義弟はある意味美食を求める高級幹部達にとって便利な存在であるようだ。前妻が俺と結婚した理由は農家の家に生まれ、町での生活を望んだから、だと言っていた。北朝鮮では勝手に住所を移動させる事は許されていない。町で暮らしたければ町に住む男性と結婚するしか方法が無いのだ。

「本当は平壌に住んでいる男性と結婚したかったけど、そんな人一度も会った事無いし」

 憎まれ口は良く叩いたけれど、前妻は本当に良く尽くしてくれた。あれ程元気であったのに、絶対に俺よりも長生きすると笑っていたのに、突然の肺炎であれ程あっさりと亡くなってしまうとは……救急車と言う制度が無い北朝鮮の制度を呪った事もあったが、義弟の顔を見る度に亡妻に似たその面差しから、その時の事が思い出してしまい、目じりに軽く涙が浮かんでしまった。

 子供達はというと義弟の家に居る間中、親の行動を完全に無視し、ひたすら虫捕りにあけくれていた。日本から取り寄せた虫かごを誇らしげに首から下げ、田舎の子供たちを引き連れる姿は何とも頼もしく、二人が義弟の元に通う理由の一つが見え隠れするような気がした。

 もしかしたら俺は気を回しすぎていたのだろうか……酒を飲みながら自慢気に煙草の煙をくゆらせる笑顔の義弟と話している内に、長く沈んで居た俺の気持ちは自然と晴れて行くようだった。

「義兄さんはとにかく考えすぎ。気楽に行きましょうよ。気楽に」

 ついつい深酒してしまうのを必死に理性で押さえ、とりあえず休暇中は嫁さんを空気の良い所で休ませて貰う約束をした。しかし容態は良くならず、一日何度か「ぼー」と空を見詰める時間が出来る事は変らなかった。よもやこの年で痴呆症では無いだろうか? 悪い方悪い方に考えてしまい、月に一度定期的に日本の叔父に送る手紙にもついつい容態を書き綴ってしまった。一体どうしたのだろう……又前妻のように俺より早く逝ってしまうような事は無いだろうか……悩めば悩むほど仕事をする手は遅くなり、日々空虚につまらなく感じてしまった。

地上の地獄 二.国家

二.国家

 南北分断される前、南は農業が中心産業であり、北は工業中心の土地であった。
 第一次世界大戦時に日本の植民地になった事から、韓国人は自由に日本に出入りする事
が可能となった。本当は禁止されていたそうなのだが、同じ日本国民と言う事で、この時大量の韓国人が日本にやって来、そして第二次世界大戦が終っても、大部分の人間は韓国へ戻ろうとはしなかった。母国に戻らなかった理由としてはいくつか考えられるが、やはり経済面で韓国に戻った場合、生活面などで苦しくなる事が考えられたからであろう。

 三十八度で南北分断され、農業力の無かった北朝鮮の人間は餓えに苦しみ、ある時三十八度線を越え韓国に潜入した。最初は優勢を誇っていた北朝鮮軍だが、その後アメリカの参戦により結局三十八度線まで戻されてしまった。結局戦争の成果としては何も上げる事が出来ないまま、韓国との休戦協定が結ばれ、北朝鮮は又しても食料及び人手不足と言う問題に直面する事になった。

「人が足りないのなら、連れてくれば良い」

 そうした考えから始まったのが日本から北朝鮮への「帰国事業」だ。

説には日本在住の朝鮮人からの要望により、受け入れが決まったとされているが、何故それが同じ自由主義国家である韓国では無く北朝鮮なのかは知らされなかった。

「地上の楽園」
「お金の要らない平等社会」

送り出す日本政府側も、朝鮮人達の多くが貧しく生活保護を受けていた事から新潟の船着場までの交通費を補助し、「帰国事業」を推進した。

 行ったら戻れない「片道切符」。

 北朝鮮に帰ってきた事を悔やむ人は、まず船が港に着いた瞬間に「嘘つきだ!」「騙された!」と叫んでいた。しかし船に乗り込んだ全員は赤十字の人間立会いの元、出国する事が自分の意志に基づく物である事を確認した上で乗船して居た。総連の宣伝文句を信じた人間は三年も経てば国交が樹立すると説得されていたようだ。

「すぐ戻ったら格好が悪いかもしれない……」

 こうした一時の見栄で残った人間は一生涯後悔をし続けた事だろう。 母国に戻って来た在日朝鮮人はともかく、日本人妻に至っては猛反対され、「親の縁を切る」「二度と連絡が取れなくても構わない」と言い切って乗り込んだ人間が殆ど。自業自得、自分の判断ミス。日が経つに連れ、首都平壌にさえも住めない冷たい現実に自殺する人さえも少なく無かった。

「帰国の際は全財産を寄付しなくてはならない」

 真面目に寄付をした人間はそれこそタダのばか。北朝鮮の良いカモだっただろう。実際北朝鮮の政策は大当たりし、国民は苦しんでも、国家としては外貨には事欠かなくなっていた。とりあえず食べて生きていられれば、帰国者達も自分の愚かさ悔い、我慢出来たのかもしれない。

現実問題として北朝鮮では主食がトウモロコシの入った雑穀であった。良かれと植えたトウモロコシは土地の栄養を尽く吸い取って行き、転作には不向きな農作物だったのだ。
「土地が無ければ、作ればいい」

 この辺りの選択から、間違いの綻びを人の手では修正できない状態になっていた。山の斜面を切り崩し、農地を作るという計画に人海戦術を使い、木を切り崩し苗を植えたまでは良かったが、そうした事により元々山が持っていた保水能力が奪われてしまい、翌年の雨季、梅雨の季節から水害が多くなり、農作物の出来高が極端に少なくなってしまった。
 配る物が無ければ、配る事が出来ないのは誰でも分かる事だろう。

 押し寄せた洪水の水は地下要塞化していた北朝鮮の地面を容赦無く遅い、溜め込んでいた食料、備品までも押し流していった。

「物が無ければ借りれば良い」

 と言う人も居るかもしれないが、自由主義の国となった韓国でさえ資金調達には苦労したと言うのに、一体世界のどの国の人間が北朝鮮にお金を貸してくれるのだろう? 韓国の場合は最終的には日本から戦後の賠償金及びドイツからお金を借りる事により経済復興したそうだが、北朝鮮の場合、お金があってもそれらは中央の人間が個人の贅沢や軍事力のために使ってしまい、苦しみ死んで行く国民に回る事は無かった。

時折外国から食料を輸入する事があっても、料金の支払いをする事が殆ど無いので、次にその国に農作物の買い付けを依頼しても、「前回の支払いがまだだから」と断られてしまう。

 各国からの無償援助物資にしてみても、北朝鮮は国境を挟んで隣の中国から列車で運ぶ為の燃料さえ調達できない時があるのだ。無い袖は振れず、かくして配給制度は絵に描いた餅となり、崩壊した。

 とは言え人間食べなければ生きてはいかれない。かくして人は山に入りより多くの枝を折り、皮を剥ぎ、木を切り倒して生き延びてきた。そうした行為が翌年、更なる天災・危機を呼ぶ事を知っていても、それを誰も止められなかった。

 北朝鮮では遺体を火で燃やさない。基本的には棺に遺体を納め、先祖代々の墓に埋めるのが普通だ。しかし冬場は死ぬ人間が多すぎて、一人一人の棺を作る事さえもうままならない。最後は鉄製の大型な棺を作り、墓場まで死体をピストン配送し、送った後は棺を埋めずに戻すようになった。

 町中に小さな遺体がぽつぽつと転がって居ても事件にならない国は地球上に幾つあるだろう。転がる死体の数が増えるようになると、人々は今年も寒い冬を迎えた事を目で見て知るようになる。

 新聞の情報によると、今北朝鮮では主食をトウモロコシからジャガイモにするよう農業改革を行っていると言うが、地方にまでその声は届いては居ない。相変わらず一般人が食べる飯はトウモロコシや雑穀の入った飯にキムチの古漬けが食べられれば良い方。ジャガイモは粉にされ、唐麺という名前で売られる事もあったが、めったに口にする事は勿論、見かける事もそう多い事ではなかった。

「後五年で体制は崩壊する」と言う話を聞いて俺はもう十年にもなる。

ソ連邦は崩壊し、中国も緩やかに自由主義と社会主義を融和させた政策を行うようになった。社会主義の忌まわしき亡霊とまで言われている北朝鮮。外見兵士がたくさん居るので国家として形を為しているようにも見えるが、中身は「空っぽ」で国民は前を向いては居なかった。

「今日公開処刑があるそうよ……父さんは行きます? 今回は行った方が……」

 俺の仕事は日本から送られて来た新聞をハングル文字に書き換える事だった。軍事的な意味合いも強いので、地位は最下層ではあっても軍関係者と近所の人間には認知され、あからさまな嫌がらせなど、不愉快な目に合う事は少なかった。芸は身を助く。一日数時間集中して作業すれば、仕事はあっという間に終ってしまう。

 俺は出来るだけ多くの仕事をして、金を稼ごうと言う気は毛頭無かった。目立たぬよう静かに生きる為、日々必要最低限の仕事をこなしているだけに過ぎなかった。

 嫁さんの不安そうな顔は自分の意志を持とうとしない、俺の一番大嫌いな根性の無い顔つきだった。誰かの目を常に意識し、それを最高として行動する。俺は嫁さんのこの顔を見るのはあまり好きでは無かった。今日の作業はまだ終っていなかったが、嫁さんのそんな態度を見ていたら、行かざるを得ないと思った。先週あった公開処刑は寒かった事もありついうっかりサボってしまったのだが、後日嫁さんは北朝鮮の女性だけの集会「女性同盟」で「批判」されたのだと言う。

大勢の前で一人頭を下げて批判されるのは、例え誰であっても辛いだろう。

「今日は行くよ。いつものコート出しておいてくれ」
「分りました。私も一緒に行きますから」

 何故公開処刑に行く事が国民の義務なのだろうか……あんなグロいもの見て楽しい人間が居るとでも思うのだろうか??? 体制維持の為、権力に逆らった場合どうなるか知らしめる為。理由は色々とあるのだろうが、とにかく迷惑な話だった。処刑は大概町一番の広場の中央に白いテントが張られた後、その真中に柱が立てられ、準備がされるようになっていた。

 決められた時間になるとこの場所に黒い目隠しされた犯罪者が、黒い紐で両腕を後ろ手に縛られ連れて来られる。手順良く柱に括りつけ逃げられないようにした後、六人の兵士によって銃殺される。今更飛び散る血潮を見て興奮する人が居ると思って居るのだろうか? 北朝鮮にやって来た直後興味があって、幼い頃に一番前で公開処刑を見学した事があったが、子供が正面切って見るような代物では無かった。

 六人の兵士が指揮官の合図に揃えて一斉に銃を撃ち、犯罪者を血まみれにする。それでも身体が倒れなかった事から考えると、六発の銃弾だけでは対象者は死にきれなかったのだろう。身体がぶるぶると痙攣を起こし、遠目にも血がダラダラと流れ出る様子が見えた。「まだ生きている」と判断した指揮官は腰の短銃を抜き、「ガン・ガン・ガン」とダランと下がってきた頭蓋骨部分に銃弾を打ち込んだ。頭蓋骨は人の骨の中で一番堅い部分であると言うが、一メートル足らずの近距離からの銃弾に、頭から弾が抜け出た所は爆弾が落ちたように破裂し、脳漿が地面と白いテントをどす黒く汚して行った。

 一番悪趣味だと思ったのは、その処刑の瞬間を、関係者及び家族にも見せていた所だろうか。涙を必死に堪え、父親の死を毅然として見守る少女の姿は、柱に添いながらずるずると地面に血を吸い込ませながら崩れ落ちて行く死体の次に悲しすぎて、その後何年も俺はその記憶を何年も眠れない夜の度に思い起こすようになっていた。

 しかしこれも政府広報によれば「慈悲」の賜物なのだと言う。

 銃殺用の弾代が支払えない犯罪者は安らかな? 銃による死では無く、殴打又は絞首により拷問にも等しい苦しみの死が与えられる。「頭の中によくないものが入っているから、頭を撃て」との金正日総書記の指示により、いつしか銃殺のトドメは頭に三発と決まっていた。

 これはまだ良い方だと思うのには理由があった。それは先日ある厭な話を聞いたからだ。その時聞いた話によると、脱北した二十代の妹が中国に居る姉に会う為に自分裸体を撮り、中国国境近くでヌード写真を売り生活費を稼いでいた所捕縛され、父母の手により火あぶりにされたという話だった。

 木に縛り付けられ、親族の手により足元に薪が集められ、家長である父の手により火がかけられる。生乾きの木が多かったのか、火力が弱く中々死ねない妹は「私は死んでも、お姉さんは中国でお金たくさん稼いで、いい生活をしてね」とかなりの時間泣き叫び絶叫し、息絶えたと言う。

自分の写真を撮って売る事がそこまで酷い刑罰を科される程の罪悪だろうか? 皆到底そうでは無いと思って居るのだが、口に出すような事はしなかった。無論それは自分が次の火あぶりの被害者になる事を恐れたからに違いない。

 過去の厭なフィルムを頭の中でぐるぐると回しながら、その日は嫁さんと連れ立って広場の一番隅に陣取り、処刑が終った事を人の流れで確認し、家路についた。

 人の死ぬ姿を眼前で見たからか、嫁さんの調子は明らかに家を出た時よりも悪くなっていた。手袋を外し額の体温を測る。冷たい。言わん事は無い俺は慌てて嫁さんを抱き上げ、家へ向って駆け出して行った。広場のどこかで処刑を見ていたのか、出かけていた二人の子供も後からついて来て居た。

 家についても暖房器具などは殆ど無い。慣れない手つきで石炭ストーブに火をつけ、とりあえずベッドに優しく嫁さんを寝かしつけた。「大丈夫です。心配しないで」と言うが、顔色はどんどん悪くなるばかり。中から温めた方が良いだろうか……とこっそりしまっていたソ連製のウオッカを口移しで唇へと運んだ。とたんに「ゴホン・ゴホン」むせてしまったが、一口二口は飲めたようだ。

「すいません。心配かけて」
「気にするな。お前のお陰で、あんな不愉快な所に長居しないで済んで良かったよ」

 ようやく部屋の中の温度が上がってきた。我が家は夫婦の寝室に子供部屋、そして俺の仕事部屋の三部屋で構成されて居た。子供達も心配そうに嫁さんを見詰めている。血が繋がっていないのは俺も嫁さんも一緒だが、この二人は俺よりも嫁さんに良く懐いていた。
「無理しないでね。僕たち手伝うから」
「今日はもう寝ていて。僕たち料理上手いんだよ!」

 料理が全く出来ない俺とは大きな違いだ。

 その日はぶつ切りにしたジャガイモとトウモロコシのスープに滋養をつけるために潰した鶏肉を少し入れてキムチの古漬けと共に食事を済ませた。嫁さんの顔色は徐々に良くなって来たが、起き上がるのも億劫な程身体の節々がギシギシ痛いと訴えていた。

 社会主義国家は医療費が無料。というが、北朝鮮の場合医師も道具も少ない上に、治療に使う薬は患者が持っていかなくてはいけない決まりだった。薬は普通の店舗では売っていない。闇市で手に入れる他に手段は無いのだ。

 首都平壌まで行けば薬専門の店「薬局」があるそうだが、例えそこまで行ったとしても薬の解説書は英語で書かれている為、地方の学の無い人間が必要な薬を見つけられる稀だと言う。

 一般人がもし薬が必要となった場合は八方手を尽くして闇市場で手に入れるのが普通だった。止む無く俺は日本の親戚に送ってもらった滋養強壮の薬「アリナミン」を嫁さんに飲ませた。日本では栄養補助食品として使われるものだが、栄養事情が悪い北朝鮮の場合は時には薬以上に効果を発揮した。

「明日には病院に連れて行ってやる。今日はとりあえず寝ろ」

 普段はノンビリ役に立たない俺でも、嫁さんが弱っている時こそ力になってやりたかった。格好つけかもしれなかったが、普段多少調子が悪くても「辛い」と言わない嫁さんの事、必要以上に気にならずには居られなかったのだ。

 翌日嫁さんは何事も無かった様に起き上がり、家事をこなしていた。
精神的な物だったのだろうか? 俺には良く分らなかったが、家事をこなした後はいつも通り歩いて職場に通勤して行った。強制では無いのだから、やはり他人が何と言おうともう公開処刑に立ち会うのはやめにしよう。心身の安全を考え、俺はその時固くそう心に誓った。

地上の地獄 一.人肉

一.人肉


「何も無い所ですね。夜星が綺麗でしょう」
「星なんかに興味を持つ人間はここには居ない」


 今もし日本から友人が訪ねてきたならば、会話は天気云々よりも風景の話から始まるかもしれない。言われるまでも無い、見渡す限り「文明」と呼べるものが無い。別段田舎暮らしが好きでここに居る訳ではない。


 今俺がここに住んでいるのは国が「ここに住めよ」と指定したからに他ならない。


 パチンコも無い、雀荘も無い、飲み屋も無い。何を楽しみに生きているのかと聞かれると、まあ人間そんな物が無くても別段ダラダラと生きていけるものだから心配は要らない。 


「北朝鮮に帰国して、あなたは幸せですか?」
「……」
 
 ここの環境が珍しい訳では無く、北朝鮮と言う国は地方に行けば行く程鮮やかな色が無くなり、白、黒、こげ 茶、銅色と言った暗いイメージが辺りを支配するのが普通だから、ド田舎に住んでいると恥かしがる必要は無い。夜のイルミネーション等は首都平壌に行かなければ見る事は出来ないし、日照時間の少ない冬場には家にひょっとかかる裸電球さえも贅沢に見える事がある。


 電気の生産量が使用量よりも遥かに少ないので、電気が使えるのは朝と夕方の食事の準備をするほんの一時でしか無い。だから電気が点いていると言う事は自家発電装置を備えた近代的な家庭であると言う事なのだ。


 曲がる事無く一直線平壌に伸びる道には交通整理の女性が立ち、信号代わりに手を振っている。とは言え通る車は党の幹部が乗るベンツばかりで殆どの人間が徒歩で舗装されていない埃だらけの道を懸命に目的地に向って歩いていた。高速道路で人が車に轢かれた場合、運転手が罪を問われる事は無い。悪いのはたとえめったに通らなくても車が通る道に入り込んだ人間の方なのである。人間の値段は一番安く確かに、自動車の方が高価で普通そう簡単に手に入らない。


 危険な高速道路を避け、一体皆どこへ向っているのか? 説明するまでも無く、今日は食料品の配給は無く、代わりに朝から闇市場が立つ日なのである。


 日本と北朝鮮には現在国交が成立していない。友人が訪ねてくる筈も無いのに、俺は何を考えて居るのだろうか。


 北朝鮮の闇市場。おそらくここはこの国の施設としては一番賑わっている場所では無いだろうか。米、服、自転車。ウサギの角以外手に入らぬ物はまず無い。外貨・特に米ドルさえあれば、その時手に入らなくても、次に市が立つ時には大概揃うのが普通であった。


 闇市場の存在は違法ではあるが、一般庶民は勿論の事党の政府高官さえも恒常的に利用する物流の要としての意味合いがあった。物を買うと言う行為は人間の根源に関する行為なのだろうか、普段は暗い人の顔も闇市で目的の商品を見定めるその時は何故か明るく、楽しそうに見えてくる時があった。


 日本からの帰国者である俺はポケットに米ドルを十ドルだけ入れ、何買うで無くあちこちの店を覗き、気分転換がてら油を売っていた。


 日本からの帰国者の階層は一番低く、仕事の内容は厳しい上に配給は少ないのが普通だが、逆に日本からの仕送りに事欠く事が無い、俺のような要領の良い人間は、逆に贅沢する事さえ望まなければ、食料不足が続いて居ても、不足分は外貨を使い闇市で調達する事が出来るので、そこそこ、いや北朝鮮ではかなり裕福な生活する事は決して難しい事では無かった。


 もっとも金日成が亡くなり、経済状態が目に見えて悪くなってからは、仕事自体殆ど無くなってしまい、「仕事に出勤するのは配給の権利を得る為だけだ」と言う人も少なくはない。とは言え現在はその配給さえも雀の涙と言った状態なのだけれども。


 仕事の合間に実際計算してみた所、生活費は日本などに比べたら恐ろしい程安く、一年間家族四人が普通に暮らしていて、一万円もかかっていなかった。そう考えてみると、日本で満員電車に揺られ、あくせく生きるよりも、北朝鮮でノンビリ暮らすと言う事も決しておかしな選択では無い事に気がつく。


 そうだ。日本から友達がやって来たらそうやって教えてやろう。


 ここは


「元祖・地上の楽園だぞ」

「働かなくても喰えるんだ」


 と。人間何でも考えよう。後ろを向いて考えてばかり居たら、一日あっという間につまらなく終ってしまう。


「これは何だい?」
「肉だよ。肉。見て分らないか?」
「何の肉だって聞いてるんだ」
「……豚だよ豚。見れば分るだろう」


 肉といえば牛か豚、鳥と考えるのが普通であろうが、北朝鮮ではまず牛肉が店先に並ぶ事は無かった。それは農作機械が殆ど無い北朝鮮において牛は重要な農業補助生物だからだ。俺自身二十年以上前に食べた牛肉の味など覚えていないから、例え目の前にあるその肉を「牛肉だ」と言われれば、誰でもそう信じてしまうだろう。


 売っている男の服の上部は白く、裾から全体にかけては黒くスス汚れていた。衛生状態は余り良くないようだが、腐ってさえ居なければ、肉を火にかけさえすれば食べられない事は無いだろう。この国で肉を口に出来るのは正月か金正日総書記の誕生日位だけだけだから、とりあえず買って帰れば今日の夕食が楽しくなる事だろう。


「幾らだ?」
「一斤で五十ウオン」

 高い。


 大体一般労働者の給料が九十ウオンだから、その約半分の値段だ。でも肉ならその位が相場だろうか。いや安い方かもしれない。であるにも関わらずその肉屋は人気が無かった。冷やかす人間は居るのだけれど、殆どの人間はその店よりも明らかに高い値段で肉を買っている。鮮度が良くないのだろうか? 乱雑に筵の上、ボコボコと並ぶその肉の色は鮮やかで、不味そうな質の悪い肉のようには見えなかった。念のために匂いを嗅いでみるが、鼻につくような腐臭が漂って来る事は無かった。


 闇市に立つ他の肉屋はあからさまに「豚の肉を売っています!」とばかりに軒先に豚の足やら頭やらを吊るしている。多感な幼児期を日本で過ごした俺としてはどうしてもこうしたアピールの仕方は馴染めなかった。北朝鮮ではまず見かける事は無いが、出来れば肉は薄切り、最悪はブロックの形で購入したい。今日偶々発見した店はそうした俺の欲求に珍しく合致した店だったのだ。


 「どうしようか……」


 と一人悩みつつ、店の邪魔になっても迷惑なので、静かに店を離れ遠目にその肉を観察してみると、その肉は豚の肉にしては小振りで、心持ち色も赤身が強いような気がした。


「余り肉が取れない生物なのだろうか? それとも子豚の肉なのかもしれない……」


 肉の素性がどうしても気になり、俺は購入をなかなか決断する事が出来なかった。


「最後に寄ってみるか……」


 後ろ髪を引かれながらも、俺は活気溢れる闇市の喧騒の中を歩き始めた。


 その後、闇市を全て回り終え、幾つかの余計な買い物を済ませた後、「肉が残っていたら……買ってみるか」と思い、最終的に遠回りをして俺はその店に立ち寄ってみる事にした


「お、さっききた日本人だね。売れ残っているんだ。安くするからさ。どうだい」


 見た目、帰国者と北朝鮮人は明らかに違う。服装もどちらかと言うと清潔で垢抜けているのは帰国者の方だ。季節は秋を入ったばかりだが、気温は大分冷え込んできており今日の俺は薄地の灰色のセーターをワイシャツの上に軽く着込み道を歩いていた。見た目は使い古しているので、質が悪いように見えるかもしれないが、足元の靴からポケットの中のハンカチまで、全ては日本製で揃えていた。


 北朝鮮においては自国の製品よりも、質の良い日本製が好まれる傾向がある。深く被った帽子であまり良く見えないかもしれないが、頭の毛は月に一度はバリカンで短く揃え、髭も毎朝剃るようにしていた。


 又俺の身長は百七十五センチあるが、北朝鮮男性の平均身長は百六十センチだそうだから、頭一つ位俺は身体が大きい事になるのだから、服装以前にこうした体格差から見分けがついたのかもしれない。


 個人的にはこうした体格・身長差は、遺伝云々の問題よりも、幼児期の栄養状態が影響しているのではないかと思う。日本人が平均身長を十センチ伸ばすのに十年かかったというが、北朝鮮人の平均身長は年々減少の一途を辿っていた。どう考えても悪政のせいだと思うのだが、世界的にそれらを指摘する人間は少ない。


 その他顔色についても、北朝鮮では肝炎を患っている人が多いので、どちらかと言うと黄色い顔の人間が多い中、俺はそうした感染病については徹底して対策をしているため、常に健康的な黄色人種的な黄色い肌色を守っていた。もっとも温かい国で育った為、どうしても冬場になると唇が荒れてしまい、裂傷に悩んでしまう事があるのだが……これはもうどうしようも無い事であった。


 帰国者の中では、定期的に日本から援助を受けている人間は俺のように恒常的に健康を保っているが、逆に受けられない人間は逆に北朝鮮人よりも酷い格好をしている事があった。


「生まれてから一度も下着を付けた事が無い」


 と言った帰国者にも会った事があるが、あれはあれで悲惨な状況だった。食料不足から顔は浮腫み、唇は上下合さらないほど離れてしまっている。物を食べないと口が後退するのだろうか? 氷点下の道であっても靴下無しで歩き、飢えを凌ぐ為に、時には豚の糞に消化しきれずに排出されたトウモロコシの芯さえも食べる。人間ここまで落ちられるのか……と思ったことは一度や二度では無い。


 朝鮮戦争が終って数年しか経っていないのに本当に地上の楽園が存在していると思ったのだろうか? もし本気でそう思ったのならば、本当に気楽な、状況判断が出来ない人間と言われても仕方が無いのではないのでは無いだろうか。


「豚だよ豚。ネズミじゃねえって」
「ネズミは某人物が食べるから市場には出回らないだろ」
「かもしれねえ」
「って、食べるのはネズミのナニだけだって話だけどな。アハハハハ。あんなちっこいの百ケ食べたって腹の足しになるのかね」


 人差し指を嫌らしそうに四十五度に曲げ、ゲラゲラ嫌らしく笑う。何度か陸軍の人間を総動員し野生のネズミを荒野で狩る演習風景を見た事があった。「誰が何の為に」。兵士も町の人間も誰も確かな情報を口にする事は無いけれど、そうした事がこの国で実行が可能な人間は唯一人しか居ない。平均身長も、平均寿命だって縮められるのは……ちょっと考えさえすれば誰だって分る事だろう。


「でも野ネズミのナニを食べるとあそこがビンビンになるらしいから……」
「冷やかしなら帰ってくれ。で、どうするのだい? 買うのか買わないのか」
「じゃ、折角だから半斤だけ包んでくれ」


 話が長引くにつれ、肉屋の店主は迷惑そうな顔をした。闇市とは言え政府の密告者が居ないとは限らない。余計な事を口走った結果として強制収容所に送られたならば、とたんに家族・親族が路頭に迷うのである。


「じゃ、これ。お、米ドルか悪いな」

 ちょうど手持ちにウオンが無かったので、真新しいドル札で金を支払ってしまった。偽札ではない。本物の米ドル札である。ついうっかり、間違えた。


 と慌てて取り返そうと思ったが、店主の笑顔を見てやめる事にした。肉の一つ一つの塊は小さかったが、突き刺す指を押し返す強い弾力がある。脂肪では無く筋肉の部位なのだろうか? 


 しかし、直感本能的に


「絶対豚では無いな」


 と思った。


 闇市場で見つけた不思議な肉。家に持ち帰り、どうしても味が気になったので、嫁さんに小さめの固まりの一つを夕食前に焼いて貰った。とたん異臭が家中を漂い始めた。何とも臭い。我慢できなくなった嫁さんは人目を気にしつつも窓を開け、バタバタと匂いを家の外へと追い出した。


「あなた。これは何の肉なの?」
「え。豚だって聞いたけど」
「豚??? これが???」


 匂い対策をし、大騒ぎしている間にコゲコゲになってしまった肉。とりあえず折角焼いて貰ったのだから口に運んではみたが、口当たりから何ともボソボソしていて、味や風味は良く分らなかった。欲目ちょうど良く焼けたとして評価をしても、決して旨い肉だとは思えなかった。


 嫁さんは「煮込んだらいいと思うわよ。香草を入れて匂いを消せば食べられない事は無いと……」とまだ残る肉の塊を見詰めながら料理の仕方を思案していた。都会に住むカラスは不味くて食べられないが、山に住むカラスは鳥の肉だと思えぬほど良い香りがし、非常に美味だと言う。そういえばそんな話を狩猟が趣味だった亡父から聞いた事があった。


「都会のカラスは不味い。戦時中腹が減って、ワシは一度食べた事あるから、間違い無い」


 亡父のガラガラ声を思い出しながら考える。何故都会のカラスは不味いのだろうか、それは都会において人間の食べ残しなど雑食性であるからだと言う。一体この肉は何の肉なのだ? どう考えても穀物だけを食べている豚の肉では無さそうだった。


「焼いて食う肉じゃ無いんだろ。食っている餌が悪いのかもしれないし」
「食べている物が違うと味が変わるの?」
「そらそうさ。中国にはフルーツ・コウモリと言う動物が居るが、こいつはフルーツしか食べないからスープにすると最高だって言う話を闇市の業者から聞いた事がある」
「そうなの……私最近味覚がおかしくて、あなたも変だと思うのなら間違い無いわね」


 帰国者と結婚したと言う事で嫁さんは北朝鮮社会で肩身の狭い思いをしている。三代前にさかのぼって状態をチェックされるまでもなく、我が家は「敵対階層」だった。北朝鮮国家体制について非難した事も、文句を言った事も無いけれど、なんとも理不尽な話である。


「お前は資本主義に毒された帰胞野郎だ!」

 小さい頃は良くそんな罵声を浴び辛い思いをしたが、何年も続くようになると何とも感じなくなっていた。俺は慣れたけれど、嫁さんはそうでは、ないのかもしれない。


 日常外の風当たりが強いのだからこそ、家の中ではノンビリと安らかに過ごして欲しいと思った。嫁さんの生まれは決して悪くないのだが、中央から失脚し、縁あって俺と再婚した。顔は卵形の色白のすっきりとした顔つきで、どちらかと言うと垢抜けた、典型的な北朝鮮の美人顔だ。


 嫁さんはどんなに忙しい朝でも、必ず眉墨を必ず引き、髪を編み上げる事を忘れない。美人だから性格が悪いかと言うとそうでもなく、家事一般から近所づきあいまで、そつ無くこなす八方美人型である。「欲しい物があったら日本から取り寄せるぞ」と言う俺の言葉にも、嫁さんはめったに自分の私物を頼む事は無かった。


 中国人の最高の贅沢は中国人の料理人を持ち、洋風の家に住み、日本人の嫁さんを持つ事だと言うが、絶対最後の嫁さんの部分は北朝鮮の女性を貰った方が男は幸せになれると思う。優しく強く、そして美しい。こうした特長は前妻もそうだった。


 あまりジロジロ見ていると恥かしがってどこかに行ってしまうので心で思っても、実際口に出して誉めたりするのは出来るだけ、控えるようにしているが、子供が居ないと結婚してもう何年も経つと言うのに、ツイツイ手を握ってしまいたい衝動にかられてしまう。


 今考えてみると、何故再婚である俺と結婚する気になったのか、良く分らない。無論何度か聞いてみた事はあるのだが、何時も笑顔で言葉を濁し、真面目に答えてくれた事は無かった。


 年齢は俺よりも二つ下のまだ二十台ではあるが、幼い頃から踊りを専攻し、身体を酷使した為実年齢よりも十歳は年を取って見える上に、腰はもう曲がりかけてきている。本人が言うには伸ばすより曲げていた方が体勢として楽なのだと言う。


「疲れているなら無理するなよ」
「ありがとう。でも、子供達がそろそろ帰ってくる時間なのよ頑張らないと」


 嫁さんとちょっと話している間に、子供達は元気良く玄関の扉を開け入ってきた。顔も手も泥だらけ。鍋の上で弾ける大豆のように、ハアハア勢い良く息を切らし、二人揃ってリビングへとやって来た。


「とおちゃんただいま!」
「おう。お前達帰ったのか」
「今日はちびっこ計画だったのだ。僕たちがんばってきたから」

 北朝鮮では子供でも社会奉仕として、定期的に古紙や空き瓶集めをする事が義務づけられていた。我が家はどうせ社会の最階層。無理はするなと子供たちには常に教えていた。しかし双子のこの兄弟は俺の実子では無い。子が無い事を嘆いた前妻が弟の子を乳飲み子の頃に引き取ったのだ。


 北朝鮮では出産する女性は多いが、栄養状態が悪いせいか死産する事も、母体が死んでしまう事も決して珍しくは無い。義弟の場合は授かった子供が双子であった上に初産だった。後で話を聞くと、栄養も妊娠しているからと言って多い目に取っていた訳では無かったと言う。しかし四人以上産むと住宅が配給され、八人以上産むと「努力英雄」という称号が与えられるこの国では、多少の危険を顧みず、女性はどんどん出産に挑んで行く。


 又運良く三つ子を出産した場合、女の子には銀製の懐刀、男の子には金の指輪が進呈される。無論帝王切開では無く、自然分娩で簡単に三つ子を無事出産する事は相当困難な事であり、成功例は公開されてい

る情報を見る限り、ここ五年間で百をようやく越えた程度であった。

 妊娠中でも通常人と同じように農作業に従事し、陣痛が起きるその時まで働く。結果無事出産は出来たのだけれど、産後の経過が悪く産婦は亡くなってしまったのだ。義弟の下に残されたのは生まれたばかりの赤ん坊が二人と三歳の息子、五歳の娘が一人。親族会議が持たれた結果として手間のかかる赤ん坊二人は親の本音と建前の海を泳ぎ、ある程度の資産を持ち「後継ぎ」を求む前妻の下へとやって来た。これは決して俺にとって不愉快な事では無く、北朝鮮と言う地で家族の無い俺にとっては本当に有難い申し出であった。


「義兄さんが名前を付けてやってください」


 実の親に名前を付けられる事無くやってきた双子の兄弟。色々考えた結果「日進」と「月進」と言う名前を付けた。幸薄く生を受けた二人の兄弟を昼の太陽と夜の月が交代で守ってくれないだろうか、と思ったのだ。


 日本でもそうだが、北朝鮮でもやはり「男の子」と言えば後継ぎ扱いとなる。血は繋がってはい無いが、わけ隔て無く愛情込めて育てたつもりではあった。しかし五歳、六歳と年を取るにつれ「実の父では無い」と言う事を殊更気にするようになったような気がする。


 誰から真実を聞いたのか知らないが、いつしか自然に実父である義弟の元へ遊びに行くようになっていた。俺はそれを咎めるような事は一切しなかった。寂しい事だが選ぶのは二人であるし、前妻が亡くなった今となっては止める権利さえ「有る」ような、「無い」ような状態であったからだ。


「じゃ、僕たちは出かけてくるから。何か持って行っていいものない?」
「肉買ってきたから、それを持って行ってやれ」


 どうせ実父の元に行くつもりだろう。だったら菓子何かより酒の足しになる物の方がいい。他人だとは決して思わず、二人を大事に育てたつもりだったが、やはり実父と養父では違う部分があるのだろうか?


 思い悩む俺をそっちのけに、嫁さんからバタバタと肉を包んで貰い、二人は俺の顔を見る事無く足早に立ち去って行った。二人がこの家から居なくなる事があるのだろうか……と一人悩んだ事もあったが、現実問題として手間と金のかかる二人が弟の家に戻ると言い張っても不可能であろうと言う結論に達した。


「とおちゃん。今僕たち虫取りにはまってるんだ」
「そうかそうか。精々楽しんで来いよ」
「うん。良いのが取れたらとおちゃんに見せてあげるから、楽しみにしてね」


 俺は韓国風に「アボジ」と呼ばれるよりも日本的に「とおちゃん」と呼ばれるほうが好きだった。子供達もそれを知っており、俺の呼称はいつしか他人には通じない「とおちゃん」に固定されるようになっていた。


「焼いて食ったら不味いからな。煮て食うように伝えてくれ」
「わかったー」


 翌日、肉の文句を言ってやろうと闇市に出かけた。しかしその店はその場所から何故か消え去っており、そこには質の悪い繊維質ばかりのトウモロコシ粉を売る店が二軒並んでいた。一応知らないかと聞いてみたが「来月までお休みだって」としか教えてはくれなかった。


「別の闇市を回っているみたいですよ。私が知っているのはそれだけです」

 闇市場とは言え色々と細かい取り決めがあり、場所取りに関しては一ヶ月単位で取り決めがあるようだ。居ないのなら苦情を言いようも無い。来月また出直す事としようか。俺は仕方なく何も買わず闇市場を後にした。


 雪がチラチラと空から舞って来た。今年も餓死者は出るのだろうか。他人の事など知った所では無いが、北朝鮮の老人は死期が近くなると、家族に黙って家を出、路上で死ぬ事が多くなっていた。

 葬式で多大な金をかけるよりも、家族の食料にそうした金を回して欲しいと思うからであろうか。気温が冷たくなるに連れて、町中には通常みかけないような老人達の姿がポツポツ目につくようになって来る。流石に故郷の町ではすぐ連れ戻されてしまい、死ににくいかもしれないと思ったのだろうか。


 着古した、父の遺品であるトレンチコートの襟を立て、足早に家路を急いだ。そろそろ雪が降るだろうと荷物になっても持ってきて、正解だった。毎年雪の降り始めを見る度に、その下に今年もおそらく誰知る事無く埋もれ行く、痩せた遺体の数々を想像しない訳にはいかなかった。

地上の地獄 梗概・目次

梗概


父の意思に従い母国北朝鮮へと戻って来た主人公。「地上の楽園」と信じやって来た国は実は慢性的な食糧難に陥っており、日々公開処刑や人喰いなど現代社会とは思えないほど殺伐とした所であった。


 賄賂を巧みに使い生き残る人、酒に溺れ野たれ死ぬ人が増える中、主人公は新しい生命の誕生に際し体制に絶望し、脱北を決意する。結果脱北は成功し、主人公は自由を手に入れるのだが、祖国に対する望郷の念は捨て難く、自由を得ても憤然としない日々を送るのであった。


目次


一.人肉 
二.国家 
三.密造 
四.妊娠 
五.市場 
六.子供 
七.賄賂 
八.脱北 
九.実行 
十.自由 

血のソースは濃く、苦く

先月ついに日本でも

新型ヤコブ病の国内初感染者が発表された。

ついに来たかというのが正直な所。
現在発病者の男性は英国に24日間、

フランスに3日間滞在していたことが確認されている
この病気は、発病後1-2年以内に

全身衰弱、呼吸麻痺、肺炎などで死亡し
遺伝する可能性もあり、治療法は確立されていない
エイズ同様不治の病である


日本政府の見解としては


「日本国内で感染した可能性がないわけではない」


であるとしても


「英国で感染した可能性が有力」


との見解を発表している。

それに合わせて遅まきながらも

輸血者に対する制限が行われる事となった。
対象はイギリス・若しくはフランスに

1980-1996に滞在した人間であるが
一気に両国滞在経験者の輸血を停止させてしまうと
血液が足りなくなってしまうので、
今月5日からイギリス滞在経験者のみ輸血禁止となる


厚労省は献血での対策に続き、
変異型ヤコブ病の危険が高い英国、
フランスなど36カ国について、
1980年以降に1カ月-5年以上

の滞在者からの臓器提供を断る事を発表した


が、移植を受ける患者側への十分な説明と同意があれば、
提供、移植を例外的に認める事もまた

厚生科学審議会臓器移植委員会が
4/25に発表している


喰うも喰わぬも移植者自身の意思次第
そして血のソースは品切れ近し
喰いたくても喰えない時代がそろそろ始まる


参考

厚生労働省
http://www.mhlw.go.jp/


胎盤の効果について考えてみよう

日本では出産後不要となった胎盤を無断に捨てると罪となる
どのような罪かというと

「廃棄物処理法違反」
 http://www.nippo.co.jp/re_law/relaw7.htm

という罪である。
なぜそうなのか。

それは一九九四年に生物倫理に関する法律を成立する際に
胎児を定義して成長段階に応じた法的地位を与えなかった事
に起因する。
過去には韓国からアメリカへ生の胎児を輸出するという事件があり
大騒ぎになったが
人の倫理的には問題になっても
法律的には何ら問題は無いのだ

しかし
2003年に薬事法の改正があり、
「特定生物由来製品」と呼ばれるようになった
ヒト由来の胎盤は、医師以外には取り扱う事は不可能になっている
つまりは市販してはいけない事になったのだ。
当時店先にあった人プランセンタエキスを使用した薬は
あっという間に消え去った

薬事法改正
http://www.kyoto.med.or.jp/2003/doctor/ugoki/yakuzi.htm

大昔から胎盤は「女性の更年期障害」に効果有りとされ
漢方薬では「紫河車」

更年期の漢方治療 -紫河車-
http://www.ihealth.co.jp/main/ages/woman/010.html

という名前で販売されている。
現在では市販薬から皮下注射する薬に形を変え
存在している

メルスモン製薬で使用しているのは
「出産後不要となった胎盤を120度で加熱し切り刻んで
 保存した物から抽出した成分」であるようだ

当然の事ながら最低限の検査として

梅毒、B型肝炎、C型肝炎、エイズ等
成人T細胞白血病、伝染性紅斑(リンゴ病)

のどれにも陰性である事が条件となる
しかし、海外に何年住んでいたとか、
そう言うことは血液の献血の際は大いに問題になっても
胎盤の際は全く問題として提起されていない

であるからして、
ヒト胎盤を原料にしていることに由来する感染症伝播の危険性
(変異型クロイツフェルト・ヤコブ病、予測できない未知の生物など)
を完全に排除する事はできない。

しかし以前は「でも感染例は存在しません……」という謳い文句が
続いたのだが
2005/1/7にはついに日本でも初めての感染例が報告された事により
この神話は崩壊した

去年の6月に都内40代の女性が、
美容クリニックで美肌を目的とし、
月2回のプラセンタ注射を打ち、
翌月の7月の終わりくらいから、だるさと黄疸症状が出、
急性肝障害で入院した

という記事が読売新聞に載ったのである

プランセンタ注射でこのような症例が出たのは日本では初めて
の事である。
やっぱり危なかったのか……と思うけれど
美白・美肌に弱い人間にとってはこうした「危機」は耳に入らないのかも
しれない。

しかし胎盤は元来より「更年期障害」に効くとされてきた物であり
美白・美肌効果については医学的に証明されてはいないのだ

瓶に書かれている注意書きを転記すると

アレルギー体質の患者には与えてはいけない
たん白アミノ酸製剤であるため、ショックを起こすおそれがある。

と書かれている。
当然人から人へであるからショック症状を起こす可能性は
何倍も高いだろう。

その他薬だけでは無く胎盤は「プランセンタエキス」と
オシャレに名前を変え
存在している

ヴェリイ美容クリニックでは
http://www.very.ne.jp/other_00.html

内服薬1ヶ月分    26,500円
注射1回       2,600円 (1~2週に1回が目安)
埋没(埋め込み)1回 26,000円(月1回が目安)

免疫力を上げ
老化予防、美白、健康維持、疲労回復、更年期障害、
アトピー性皮膚炎、肝機能障害 に効果あり

るという夢のような薬である。
この辺りで「アヤシイ」と思う私は疑り深過ぎると
コメントされてしまうのだろうか?

血液輸血の際はリスクの際詳細紹介があり
同意書にサインの上行なわれるけれど
こうしたプランセンタエキス注射にはそこまでの
リスク開示が行われて居るのだろうか?
また注射を受けている人は理解をしているのだろうか?

ヤコブ病は母子妊娠で感染する。胎盤はその媒介となるのだから
危険性については言うまでも無いだろう
これは検査項目に入っていないけれど……
日本ではそう患者数居ないからだろうか

「人を食べてはいけないよ」

人が人を喰う。
狂牛病に感染した牛は何故そうなったのかを
考える事は無いのだろうか

何ともその理由が美への追求というのは
文明が発達しすぎてしまったからだろうか
何とも悲しい。

アメリカでは、人コラーゲンは 死刑囚から抽出したのを使っている
という噂もある

以後も胎盤関連のニュースが出たら取り上げて行きたいと思います

参考

メルスモン製薬は悪くない
*ホラーな内容なのに笑ってしまいました。
 新薬開発をされている方のページです
記事URL
http://www.908.st/mt/cmstriker/
http://www.908.st/mt/cmstriker/archives/002587.html
http://www.908.st/mt/cmstriker/archives/002609.html
トラックバック
http://www.908.st/mt/mt-tb.cgi/2356

人間の胎盤を使っていた薬、出荷停止に
http://poo-chan.com/archives/2005/02/17_0300.php
トラックバック
http://poo-chan.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/564

プランセンタ注射を打ちつづけるとどうなるか
http://blog.so-net.ne.jp/hiroko-fortunetelling/2005-01-13
トラックバック 
http://blog.so-net.ne.jp/hiroko-fortunetelling/2005-01-13/trackback


メルスモン製薬
http://www.melsmon.co.jp/
ラネンテック
http://www.placenta-jbp.co.jp/index.html

薬事法違反業者に対する行政処分について(概要)
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2005/02/h0216-2.html

胎盤を食べた人
*外国の方のようです。現在日本ではくれといってもくれません

>お味と質感はレバーと牛フィレを足して2でわったようでおいしかったです。
>味付けはレモン、ガーリック、醤油があいました。
>2週間後に冷凍しておいた胎盤でパーティをした。

http://www.oyobidenai.pwp.blueyonder.co.uk/placenta_j.html

胎盤エキスの美容注射で肝障害…メーカーが副作用報告
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20050107it07.htm
美容に良いとして人の胎盤エキスを注射した東京都内の40代の会社員女性が
、急性肝障害の副作用症状を起こし、約1か月間入院していたことが7日わかった。
 胎盤エキスは肝臓病などの医薬品として承認済みだが、最近は「プラセンタ
(胎盤)注射」の名称で美容目的での使用が広がっている。重い副作用症状の
報告は初めてで「予期しない病気や感染症を起こしかねない」と指摘する専門
医もおり、胎盤エキスのメーカーは薬事法に基づき副作用報告を厚生労働省に提出した。
 この胎盤エキスは、日本生物製剤(本社=東京・渋谷)が製造し、医薬品としての
承認を受けている注射剤「ラエンネック」。胎盤エキスには細胞の増殖を促す
さまざまな物質が含まれており美肌効果が高いとされる。女性は、都内の美容
クリニックで「きれいな肌を維持するためにはプラセンタを注射した方がいい」
と勧められ、2004年6月ごろから月2回、ラエンネックの注射を受けた。
 7月下旬になって、だるさや黄疸(おうだん)などの症状が出て、国立
国際医療センター(東京・新宿)に緊急入院。肝臓の細胞が壊れる急性肝障害
と診断された。治療チームが調べたところ、女性の白血球は胎盤エキスに触れる
とアレルギー反応を起こし、異常な形態になることがわかった。他にアレルギ
ーを起こす要因がないことから、胎盤エキスによって異常になった白血球が
肝細胞を壊したとみられる。
 厚労省は12月中旬に、「未知の副作用の報告で重症例」とみて、日本生物
製剤に対し、詳細な症例データを報告するよう、薬事法に基づき指示していた。
 これまで、胎盤エキスの副作用としては、注射した場所が赤くはれたり、
めまいなど軽い症状しか知られていなかった。
 治療チームの正木尚彦・第2消化器科医長は「生体組織を原料にする以上、
予期しない感染症が潜む可能性もあり、関係者はそうした点をもっと周知すべきだ」と
指摘している。
 日本生物製剤は「初めての重い副作用例で驚いている。医師への関連情報の
提供を積極的に行う必要性を痛感する」と話している。

腹から喰う。中国にて腎移植が可能に

中国の病院が日本に支部を開設して
日本人の腎臓病患者に情報を提供し
中国で腎臓移植を行なう計画を進めていることが関係者の話で分かった。
腎臓を提供してくれるドナーが見つからなくて
長年人工腎臓(透析装置)で透析治療を続けている患者にとって
選択肢が増える。しかし中国のドナーは死刑囚と言われ
日本臓器移植ネットワークを介した善意の移植とは違うだけに
多いな波紋を呼びそうである

産経新聞1面 2005/03/27
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050327-00000000-san-soci

クリフォード病院

2002/9 新興住宅街の中に広州中医薬大学との医療定型で設立された
総合病院。
中国名は「祈福医院」。
240床。総スタッフは500人
一般病棟は地上二十階建て、地下一階
クリフォード病院は、早ければ今年夏にも、
東京都台東区秋葉原に支部となる事務所を置く計画
中国人だと、二百万円前後だが、
日本人がクリフォード病院で腎移植を受ける費用は、
渡航費や入院費、通訳料などすべて含んで
八百万円から九百万円かかる。



ドナーは30歳から20歳という若い人に限定し、
腎臓は摘出後十二時間以内に移植される。
入院期間は60日。で既に日本人では二例が存在。

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中国では最高人民法院などの規定で、
死刑囚から臓器を取り出して患者に移植する事が認められている
一説では移植される臓器の九割が死刑囚からの摘出とされる

中国では一般人からの臓器提供は殆ど無く
死刑囚ドナーのメリットは

1.多くの死刑囚は若く健康
2.麻薬歴や肝炎、HIVの事前チェックができる
3.予め死亡の日時や場所が分かり 移植を受けるレピシエントの 
 選定や待機が簡単

(岡山大 栗屋 剛教授 談)

という
現在日本の移植数は
移植ネットワークに登録された腎臓移植希望者数の
7パーセントに過ぎない。


人間の胎盤で無承認製薬 メルスモン社

製薬会社「メルスモン製薬(東京都豊島区)が人間の胎盤を使った
無承認の医薬品を製造、販売していた問題で、
厚生労働省は十六日、同社の川口工場(埼玉県山口市)を十七日から
九十日の業務停止処分にした。
厚生省によると、同社は人の胎盤を使った医薬品を治療に
使う医師でつくる
「日本胎盤医療研究会」から委託を受け
平成十三年から十六年八月まで胎盤を細かく切って
滅菌処理し、小瓶に詰めた商品を承認や許可無く製造していた
同研究会では会員の意思焼く六十人に
製品を提供
医師はアレルギー性疾患の治療などの為に
製品をすりつぶし、注射で皮膚の下に埋め込む治療法で使っていた

産経新聞 2005/2/17 14面

胎盤医療で業務停止
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050216-00000984-jij-soci
「刻み胎盤」を販売、製薬会社を業務停止処分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050216-00000207-yom-soci
薬事法違反で業務停止 胎盤使った無承認薬製造
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050216-00000134-kyodo-soci

インコラプティブル

インコラプティブル
とは日本人には聞きなれない単語であるけれどこれは

不朽の聖人

という意味である。普通人は死ねば朽ち果てるものであるけれど
朽ち果てない人も居る。
ミイラ? とも思うけれどバチカンには人の手が一切加えられていないのにも関わらず
腐敗せずそのままの姿で居る聖人達が登録されている
これらは「奇跡」として認証される

日本人に一番身近な聖人といえば間違いなく
フランシスコ・ザビエル
であろう。
彼は死した後その功績により聖人に列せられた。
東方にキリスト教を広く広めたというのがその理由であるが
聖人に列するに際し反対する人も多かったらしい。
バチカンの判断としては

「死体の右腕を切り落として血が流れれば聖人として列する」

といったものであった
現在彼の墓はインドのゴアに存在する

フランシスコ・ザビエルの墓を開いてみると
生きたままの姿で保存されているのみならず、
腕を切り落とせば血が確かに流れたという
その後ザビエルの右腕は切断してローマのジェズ教会に安置され
さらには内臓を送れという指示が続いてなされ、
遺体の腹は割かれ内臓はすべて摘出されてしまった。
右腕は「聖腕」として残っているが、その他の内臓は四散してしまったようである

ザビエルの遺体は数年毎に公開されており
最近では1994年に公開されたと聞く
次の公開についての情報は未定である

はじめてこの話を聞いた際どうもぴんと来なかった

無理難題を押し付けてきたバチカンに対し
きっと聖人に列したいと思った人間が細工でもしたのだろう。


しかし インコラプティブル という考え方を勉強するとこの事件について
別の理解が生まれてくる。
聖人であれば、生きたままの姿で保存されるのが普通? である
であれば、血が流れてしかるべきであろう。
というごくごく当たり前? のようなバチカンの意図が見て取れるのである

しかし死というのは人それぞれに公平に訪れる
特に戦争があったときなどは終った後その腐臭などは
言語に絶しただろう

肉体は諸悪の根源であり憎むべき物であった
しかし例外として聖霊が宿った遺体は
病人を癒し知恵の言葉を授け、卑しいものや貧しい者を救済する
聖人の遺体には善良なる力が篭るとされた

「神ご自身もそうした聖遺物のある場所で奇跡を行う事によって
 それらを相応に崇めておられるのだ」

これは十三世紀イタリアの大哲学者であり神学者であった聖トマス・アクティスの言葉である
つまり聖人の遺体は神聖な避雷針であり
奇跡を呼び寄せる事ができると信じられていたのである

インコラプティブル
は存在する。そうしてこうした存在があるからこそ
「ミイラ薬」は万能であるという
発想が生まれたのでは無いだろうか

無論いくつかは人の手に加工されたインコラプティブルであるが
これは悪い意味で隠していたのではなく
公然と防腐処理が依頼されていた事を数百年の月日が経った事により
忘れ去られた事も一つの原因であるらしい

あまり知られていない話であるけれども
新約聖書には聖墳墓に集まった人々が
天然の防腐剤をキリストにどう塗ったかが語られている

「キリスト教の長であるキリストが塗油され、防腐処理されたのなら
 重要な人や神聖な人も塗油して防腐処理をすべき」

と考えたとしても不思議は無い。

では完全無欠のインコラプティブルはどうして生まれたのだろうか

聖ツイータ
グッビオの聖ウバルド
サヴォイアの福者マルゲリータ
聖サヴィーナ・ペトリッリ

がそれらにあたる。
これらの聖人は列せられる前に教会の地下の特殊なドーム型の墓所に葬られて居るのである
敬虔なキリスト教徒は死者を墓ではなく教会の地下にドーム型墓所を建て
実質的には霊廟も兼ねる礼拝場を作ったのである
このような墓所では司教は祭壇に一番近い所に
司祭と修道士はそこから少し離れた場所に葬られた

教会内にあるドーム型墓所は神聖な場所であるだけでなく
内部がアルカリ性の医師で覆われたりしていた為
ミイラ化を促進する環境であったのである
実際聖人になる見込みのある人はこうした墓所に葬られる事が多かったという
また教会関係者がどの遺体がその聖人の物であるか分からなくなった場合は
一番保存状態の良いものが選ばれる事が多かったという

ミイラはなぜ魅力的か
ヘザー・プリングル
ISBN4152084197
インコラプティブル
*聖人の写真を見る事ができます
http://photo-collage.jp/gensougarou/mag/past/56.html

聖人(英語)
*The Incorruptibles の欄がそうです。
*時間があれば訳してみたいと思います
http://www.theworkofgod.org/Saints/




著者: ヘザー プリングル, Heather Pringle, 鈴木 主税, 東郷 えりか
タイトル: ミイラはなぜ魅力的か―最前線の研究者たちが明かす人間の本質

即席ミイラ薬作成方法

過去人間はミイラを薬として飲む習慣があった。
何故なんとも怪しい「ミイラ薬」が成立する事となったのだろうか。

ルネサンス期のヨーロッパで病人やけが人の心に何よりも恐怖をかきたてたのは
地元の医者がやって来る光景であったかもしれない。
ヨーロッパの医者はヒポクラテスの時代から進歩していなかった。
昔ながらの治療法を改善しようとヨーロッパの医者は試行錯誤し
その治療法は野蛮としか言いようが無い状態だった


彼らは銃で撃たれた患者の身体に沸騰した油を注いだ
手足を切断した人の傷口に赤く熱した鉄の棒を押し当てた。、
梅毒患者の肌には有害な水銀をたっぷりと塗り
貧血の場合は静脈を切り開いて一度に一リットル近く出血させたので
患者は衰弱しきってベッドから起き上がる事もできなくなった
俗に「瀉血」と呼ばれる治療法である
その他医者は自転車の空気入れに似た恐ろしい道具を取り出し
一日に三・四回患者に浣腸をした。


医療の進歩が遅れた理由は宗教上の問題も否定できないだろう
キリスト教徒が医療面で進歩していたイスラム教徒に教えを請う事など許されなかったし
イスラム教徒としても受け入れる事はできなかった。

そうした事情からヨーロッパの患者は医者の魔の手を逃れる為の薬を追い求めていた
十字軍によってもたらされたエジプトの永久死体の肉と粉を粉末にしたミイラ薬は
ごく少量服用するだけでどんな病気でも治るとされたのである

ミイラ薬は見た目に不快で味も酷かった
飲めば酷く胸焼けがして胃がひっくりかえったようにむかついたという
吐き気を催し、口の中に必ず不快な後味が残る
それでもミイラ薬は医者による責め苦から逃れる為には僅かな代償だと思われていた

具体的な作成方法については
ミイラを大なべで煮て、どす黒い油を掬い取ってつぼに入れるといった物だった
後にはそうした加工さえもめんどくさくなり
ミイラを包帯のまま粉にしてしまうという手法も生まれる事となる

その貴重な物質をヨーロッパの買い手に売り込んで約五十キロにつき金貨
二十五枚ほどで買い取らせていたというのである

生きた人間からミイラ薬を作る方法についても記述がある
エチオピアの医者が行っていたと修道士ルイは以下のように供述している

彼らはムーア人の捕虜で肌の色がいちばんいい者をとらえ
長い間食事を制限させた後薬を飲ませ眠らせている間に頭を切り落とす。
身体中に切り傷をつくって最高の香料を刷り込んでから干草で身体を包む
そして死体を湿った地面に埋めてから、それを掘り返して日干しにする。
すると死体が分解して純粋なバルサムのような物質が滴り落ちてくる
その液体は非常に効果である


後にレーニンをミイラ化させるために開発された「バルサム液」という名前は
ここから来たのだろうか?
この「バルサム」というのは軟膏の意味かもしれないし
木の樹液(バルサムという木があるので)という意味かもしれない

日本でもこうした「即席ミイラ」作成が行われていたという記載を読んだことがあるが
ここまで詳細な物は見た事が無い
今後も調査を進め、真実を追究してみたいと思う

ミイラはなぜ魅力的か
ヘザー・プリングル
ISBN4152084197

千年医師物語 ペルシアの彼方へ ノア・ゴードン
ISBN4042881017



著者: ヘザー プリングル, Heather Pringle, 鈴木 主税, 東郷 えりか
タイトル: ミイラはなぜ魅力的か―最前線の研究者たちが明かす人間の本質



著者: ノア ゴードン, Noah Gordon, 竹内 さなみ
タイトル: ペルシアの彼方へ〈上〉―千年医師物語1