960人殺すには でも私だけは生き残る | 正しい人の喰い方マニュアル

960人殺すには でも私だけは生き残る

腹から人を喰う話について
このブログでも遅々と追ってきておりますが
先日久しぶりにこれに関する記事を発見した


2007/5/13 産経新聞 14面


日本人比で人造移植か?


と書かれ、昭和61年から平成15年ほどの間に
十人の日本人がフィリピンで臓器移植を受けたと書かれていた

ちなみにフィリピン政府は今年の二月に
「一定のルールを満たした場合に腎臓売買を公認」する姿勢を示している
謝礼は20万円から57万円。
臓器提供の理由は大半が「貧困」であり、72人のドナーの内56人が
「臓器提供を後悔している」という。


まあ自分の意志で臓器を提供し、金銭を受け取っているので
この件に関しては「そうですか。個人の自由ですね」

「フィリピンでも合法化されたのですか」といった所であろうか。


しかし、尊敬するノンフィンクション作家
曽野 綾子氏の「沈船検死」ではこの件に関してこのような記述を掲載している


曽野 綾子
沈船検死

新聞はいつも本当のことを書くとは限らない、といったらほとんどデタラメでしょう。
とまでいった外国通がいた。
その許容範囲で読んだ記事だが、昨年末までにマレーシアでは数百人の
透析の治療を受けている患者が中国に行き
生きている人から取った腎臓の移植手術を受けた。
腎臓の提供者は処刑者であった。


中略


腎臓の値段は約百四十万円であった。

フィリピンよりも中国の方が高いようであります。
興味のある方は書籍の方開いてみると宜しいかと思います
現在中国でもフィリピン同様、合法化されていますので
値段的にはもう少し落ち着いて? 来ているのではと勝手に思っています


さて、今回の題でありますが

これまた曽野 綾子氏の「沖縄戦・渡嘉敷島 集団自決の真実」に


曽野 綾子
沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった!


書かれていた内容で気になったものがあったので
ご紹介します。


これは原文ではなく
原文はY ヤディンの「マサダ」よりの引用なのでありますが

奴隷になる前に死のうと思った960人がどうやって死んだかということを紹介している


彼らはまず籤で十人の男たちを選び出した。
この十人が、夫と妻が悲しみのうちに子供を擁して抱き合うあらゆる家族全員の
命を絶っていった。
そのごこの十人が再び籤を引き
当たった一人が残りの九人を殺害し
その後で自らの剣で自決した。

こうしたことが全て明るみに出たのは
二人の婦人たちと五人の子供たちだけが
地下の洞窟に隠れてこの悲劇を生き延びたからであった


うーむ壮絶な話である。

他人の臓器を自分の物にしてでも生き残ろうとする人
死を選ぶ人。

結局選ぶのは自分自身だけれど
申し訳ない。多分私は前者になってしまうと思う。


「とにかく生き残らなければならない、ということだけでした。
 子供たちのうち一番小さい子はまだやっと満一歳になったところです。
 私は子供たちのことだけを考えていました。
 私には倫理的な面まで考える心の余裕がなかったのです」


激しく同感。その時は多分私もそうすると思う。

ではまた